梁丞佑による土門拳賞受賞後最初の作品集「人」は横浜寿町を舞台にした人々がテーマ。
受賞作の「新宿迷子」同様に、自身が街に飛び込み、路上の住人となり
人々と交わる中で、その自然な姿、あるいは普段みせない表情を捉えています。
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神奈川県横浜市寿町。
横浜中華街から10分ほど歩いた所に存在する。
最初は話に聞いて何の気なしに訪れた。
いろんな国の言葉が聞こえ、さらに私が思っている日本像とはあまりに違う街の様子に「ここは日本ではない」と感じた。
撮りたいと強く思い、この街に通いつめるわけだが、しばらくは「ただ、見ていた」。隠し撮りをするという方法もあったのだが、それではなんだか気がとがめ、彼らと交わりたいと思った。
とりあえず、道に座って酒を飲んでみた。
彼らは私が煙草の吸殻を灰皿に捨てたら「変な奴だ」と言った。言葉も乱暴。しかし「分け合う」ことを知っていた。生活は貧しくても心は豊かであるように感じた。
こうして彼らと過ごす事3ヶ月。やっと、私に1人が聞いた。
「お前は何をやっている人間なんだ」と。
仕事もせずに日がな一日道に座っている事を、やっと奇妙に思ってくれたのだ。
満を持して私は言った。
「写真しています」と。そこから私の撮影が始まった。
ぎりぎりで、這いつくばるような、そうかと思えば、すでに全てを超え浮遊しているような、悲しさや寂しさ辛さとともに、幸せも楽しみも、悪意も善意も。
手に取るように感じられた。
「人が生きるということは…」
そう問われているように感じた。
ある日、コインランドリーの入り口で雨宿りをしていた一人の中年男性がいた。血だらけだった。「どうしたの?」と聞いたら、その男性は私の目を見て、
「だるまさんが転んだ…」とだけ繰り返した。温かいお茶を差し出したら、
「ありがとう」と言って、ただ握っていた。私がいるときには、飲まなかった。
日本には「だるまさんが転んだ」という遊びがある。
鬼が「だるまさんが転んだ」といって振り返ると、鬼に向かって近づいて来ていた人達は、動きを止める。もし動いている事がばれると、自分もまた鬼になる。
オレに構うな。
「だるまさんが転んだ」
もしかするとそういう事だったのかもしれないと今になって思う。
2017年現在、寿町は他のドヤ街と同じく以前の姿は消え、高齢化が進み、街の「境界」は曖昧になり他の街となじみつつある。
これらの写真は、2002年から2017年まで寿町で撮影したものです。 ーーー梁丞佑
profile
梁丞佑(Yang Seungwoo)
韓国出身。96年に来日、日本写真芸術専門学校、東京工芸大学芸術学部写真学科、
同大学院芸術学研究科メディアアートを修了。在学中より写真家として活動を開始し
2003年の在学中に米国International Photography Awards Other Photojournalism Section入賞。
2008年にはキャノン写真新世紀佳作入選、2009年に東京都美術館にて開催された第34回「視点」への出品など、
対象に深く入り込むスタイルを貫き、国内外で評価を得ています。
2017年土門拳賞受賞。